片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

学者の使い方

私の父親は理系研究者だ。専門の分野上、社会問題に意見を述べることもある。そんな父の名前をTwitter上で検索してみると半分くらいは非難に近いものだ。

 

自分の父親ということもあり、そのコメントたちはかなり不快に感じた。「専門家」という立場から自身の科学的見地に基づいて述べた意見を「非専門家」の根拠の薄い言葉で罵倒される。それが身内ともなれば悔しくもなる。

 

確かに専門家だけでその分野の知識を独占し、その他の人を蔑ろにするのは良くないことだ。専門家はその知識を普及する努力をしなければならないし、そのための講演会などを開く。だが、その知識を殆ど持っていない人が根拠のない非難をするのは専門家達にとって不快極まりないことだと思う。

 

父は時には国にとって喜ばしくない意見も言っていた。そのせいかそのコメントの中には「社会主義者」や「非国民」だとして罵倒するものもあった。父は「非専門家」への説明に疲れたのか、専門家委員会などをやめたりと活動が少なくなっていった(結果として家計にも響いた)。

 

今、コロナ対策に色んな専門家達が奔走している。コロナ対策の分科会会長の尾身茂さんなどは「非専門家」達への説明も必死にされている。だが、メディアへの露出が多くなる分、色んな批判に晒されている。勿論ヤブ医者や悪徳弁護士などがいるこの社会で批判的態度は必要ではある。だが、それはあくまで「本当かどうか吟味する」態度であって、決して「非難する」態度ではない。専門家達は基本的に自分達の専門知識に基づいて意見を述べる。だから、その知識を持たない我々に疑問が生じるのは仕方ない。その上で必要なのは、「正しいソースから知識を吸収する」ことと、「疑問があったら然るべき機関や人に質問する」こと。その上で自らの知識を活かして対策を講じようとする人達に敬意を持つことだ。

父へのコメントも、今溢れる批判も、専門知識を持っていることへの敬意に欠けている。あくまで「自分より馬鹿だ」という態度で接してるようにしか思えない。知識はそう簡単に得られるものではない。世界中の論文を読み、様々な実験をして初めて人類にとって新しい知識が得られる。せめて、その行為とその産物を認めることぐらいはして欲しい。

閉幕に向けて

ぼちぼち京都に帰る目処が立ってきた。10月中に帰ることになると思う。

山口に来てもう5ヶ月になった。5ヶ月で成長したかというとそうでもない。むしろ退化したと言っても過言ではない。精神的に苦しくなり、勉強はおろか、生活すらもまともにできない時期が続いた。徐々に回復しつつはあるが、まだ完全復活とまではいかない。ここに来なかった方が受験勉強は捗ったとは思う。

 

そもそも浪人という行為自体、かなり意義の薄いものだと思っている。他の人が3年で済ませられる過程をわざわざ1年延ばしてやり直す。しかもその時期に蓄えた知識が役に立つかと言われても、はっきりとそうだとは言えない。その1年を充実させる人も多数いるとは思うが、現役で合格した人達に比べるとその意義は必然的に薄くなる。

 

その1年に価値を付加するべく、この生活を始めた。ここでの生活で得たものも沢山あったが、失ったものも同じくらいある。最終的に「志望校合格」を目指す浪人生という身分からするとその失ったものはあまりにも大きかった。その代償として手に入れたものがどれ程のものかはもう少し年月が経たないと分からない。

 

せめて失ったものを出来るだけ取り戻し、かつここで得られるものを出来るだけ得てから帰れるように、残りの約1ヶ月を使っていきたい。

19年来の悩み事

生まれてからずっととあることに悩んできた。ほとんど性格上の問題に近いのだが、他人と比べて圧倒的に「不注意」であることだ。

 

集中力がすぐに切れる、よく物を無くす、期限を守れない、ミスが多いなど性格として許容するにはあまりにも自他ともに迷惑な習性だ。今、こうして浪人しているのも入試本番の特大ミスによるものが大きい(過去記事参照)。

努力や工夫でなんとかなる、の度を超えている。入試本番もできる限りの対策をしたつもりだ。名前のミス、受験番号書き忘れ等も全てチェックしながら解いていた。だが、自分の想定のさらに上を行くミスをしていた。

そんなこんなで浪人生活をしている今も、その習性は私を苦しめる。どうにか直すことが出来ないかと調べると、ADHDに関する情報を見つけた。

 

一応ADHDというものは知っていたし、家族にもそのグレーゾーンじゃないかと言われてはいたが、当の自分はそんなに気にとめていなかった。だが実際に調べてみるとかなりの項目が合致していた。上記の習性だけでなく、気がついたら妄想に耽っていることや、寝坊が多いこと、ゲーム等に依存しやすいことなど、ADHDとはあまり関係無いと思っていた悩みも症状として挙げられていた。

 

まだADHDだと確定した訳ではないが、少し安心できた。自分の悩みに名前があったこと、ある程度の治療法があることで、19年間直せなかったこの習性を抑えられる可能性があるとわかっただけで希望が持てた。

京都に帰ったら精神科に行ってみようと思う。そして受験本番までに少しはマシになる事を願う。

追い討ち

前回、除草剤を使って元畑の雑草を撲滅することに成功した。しかし前回書いたように、雑草は化学の力をも超える可能性がある。そこで、今回は別の対策をしてみた。

 

雑草の殆どは陽生植物であり、日光がよく当たる所で生育する。逆に暗い所だと光合成が十分に出来なくなり、上手く育たない。つまり、雑草の発生を抑えるには日光が当たらないようにすればいいのだ。

 

それを実現するのが防草シート。ホームセンター等に売っている。今回は前に片付けた農機具小屋から発掘した物を使った。

前回雑草を枯らした土地をならし、そこにシートを敷く。そして1mぐらいの間隔でペグを打ちこんで固定すれば完了だ。f:id:matsuten10:20210909183628j:image

このシートは大体3,4年くらいはもつらしい。その頃には自分が無事大学生活を送れていることを願うばかりである。

 

手法自体はよくあるものだが、その理解に生物基礎の知識が役立った。座学も必要ではあるが、実際にその知識を役立てる体験というのはなかなか出来ない。そういった意味で、この生活も学習に繋がるのかもしれない。

決着

このブログで何回か草刈りをしたという記事を書いたが、ようやく雑草との戦いに終止符が打たれる。

 

今までやっていたのは生えてきた草を刈るというもの。それでは土に根は残ったままで、すぐに生えてくる。そこで文字通り根絶やしにすべく、除草剤を使用してみた。
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今回使用したのはこの除草剤。生えている草を枯らすだけでなく、半年はその効果が持続するらしい。除草剤に関しては知識が全くないので、とりあえずホームセンターにあった物の中で効果の大きそうな物を選んだ。

散布から5日ほど放置するとこうなった。
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ちなみにすぐ隣の撒いていない所はこんな感じ。
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効果は絶大だった。恐らく草が残っている所は撒きが甘かったところ。草刈りの後からまた伸びてきた草を、数日のうちで枯らしてしまった。

 

だが、油断は禁物である。実はここ、1度除草剤が撒かれていた場所なのだ。大叔父が1度撒いたらしいが、後から強い雑草が生えてきたらしい。どの除草剤を使ったのかも分からないので今回も同じことが起こるとは限らないが、雑草魂を舐めてはいけない。

こちらにも、徹底的に雑草が生えないようにする秘策はある。まだやってはいないので、今回は書かないが、次回写真とともに記事にしようと思う。

埋まらぬ身の丈

模試を受験するかどうか問題再発である。

今回は今後他のの模試判定にもドッキングで使われる共催模試。しかも自宅受験は出来ない。山口にいる私は広島まで受けに行かなければならないが、その受験日は見事に非常事態宣言と被っている。広島の感染者は増加傾向にあり、感染リスクは低いとは言えない。住民票が京都のままで尚且つ無職の私にワクチン接種の機会などそう簡単に訪れる訳もなく、さらにそのリスクは高くなっている。いくら重要な模試とはいえ、命懸けで行くようなものかと悩んでいる。

 

そもそもだが、模試の会場は地方にほとんど無いというのが不満である。今回の模試の場合、公開会場は中国地方だと広島のみ、九州も福岡のみで四国に至っては無しである。それに対し東京は11、関東だと20もある。人口の問題もあるだろうが、あまりにも格差がありすぎる。せめて各都道府県1つくらいの会場は設けて欲しいものだ。

 

試験会場の問題は数年前にもあった。その時は模試ではなく民間英語試験。入試の得点に絡むような重要な試験である。当時は受験できる会場も地域格差があり、それに起因する受験回数にまで差が生じかねない状態だった。それが各メディアで指摘される中、文部科学大臣は「身の丈に合わせて」という言葉を用いてその格差を放置するという意思表示をした。

暫くして(1度撤回を拒否した後)発言は撤回されたが、国に対する不信感は受験生の間には残った。元々センター試験廃止から共通テストの実施、記述式になるかと思えばベネッセとの癒着問題で白紙化、など色々と国の政策に振り回された世代である。そこにこの発言がきて、さらにその後英語民間試験の活用が白紙になった。丁度その申し込みが始まった時期で、生徒教師共に神経をすり減らして書類を作成していた所である。担任団は「こういう書類を作った経験は無駄にはならない」と無理やり締めくくったが、一番損をしたのは先生達だ。後日テンプレ通りの謝罪文が配られたがそんなもので信頼を回復出来るわけもなかった。

 

国の教育政策のトップがこの態度である。しかもまだその役職をのうのうと続けている。そんな態度で「教育改革」と叫ばれても乗っかる気は起こらない。仮にこの世代が将来活躍しても、振り回された我々ではなく、好き放題にやった老人達が評価され、全ては美談となる。そしてその犠牲となった「身の丈が低い」人達はいなかったことにされるだろう。無知なエリートたち - 片付けしながら宅浪生でエリートが「下層民」のことを知らなさすぎると書いたが、この一連の出来事もその一端である。環境に恵まれた子供が「一流大学」を出た後リーダーとなり、教育政策を決める。

共産主義に染まれとは言わない。だが教育に関しては、官民問わずその格差を埋める努力をしなければならないはずだ。それを怠ったということの重さを、当の本人達は理解しているとは到底思えない。

病人としての祖母~地獄の介護録~

前回はこの家の本来の持ち主である祖母の過去について書いた。今回は祖母が認知症になってからの話をしようと思う。

 

元々祖母はかなり忘れっぽい性格で、周囲も認知症に気付いていなかった。だが私が高校1年の時一気に悪化し、要介護レベルも一気に上がった。母も山口に時々行っては面倒を見て、それ以外の期間はヘルパーさんに介護をお願いしていた。一番苦労したのは祖母の弟、私の叔祖父にあたる人である。家は車で20分程度の所ではあるが、定期的にこの家に訪れては祖母の面倒を見たり、郵便物の確認や病院へ送ったりとかなりの負担だったはずだ。今も病院とのやり取りや郵便物関連はお願いしている。

 

だが認知症以外にも、祖母は膵臓を悪くして嫡出した影響による身体の不調を抱えており、この家の近くの病院では治療できず、入院しようにも複数の病気を患っていることによる難しさがあったりで治療の目処は中々立たなかった。結局祖母を一定期間京都の我が家に移し、介護をしながら通院させることになった。京都に来た頃には自分の娘である私の母を認識するのも難しく、私や私の兄弟のことは完全に忘れていた。

 

だがこの介護は我々家族にとってかなりの負担になった。突然の環境の変化によるショックからかさらに認知症は悪化し、食欲以外の意欲はなくなり、一日中ベットに寝たきりになった。トイレに行くことも1人ではままならなかった。しかも高血圧ということもあり食事も食べる順番に至るまで管理しなければならなかった。

何より困ったのは深夜の徘徊である。夜中に起きては自分で鍵を開けてまで外に出ようとしたり、台所の食べ物を食べようとしたりする。仕方なく当時高校生の私と大学生の兄、そして母は交代ごうたいで祖母の寝る部屋のすぐ近くにあるリビングに布団を敷いて寝た。さらに見張り業務に加えて深夜3時に祖母を起こし、薬を飲ませてトイレに行かせるという仕事もあり、我々の健康はどんどん崩れていった。

兄と私は睡眠の質が崩れやすく、深夜3時の就寝と不慣れなリビングでの睡眠で翌日の体調は最悪であった。母も介護のストレスから怒りっぽくなり、祖母を怒る声が毎日のように響いていた。私もストレスに耐えきれず、言うことを聞かない祖母を乱暴に扱ったりした。

 

ようやく入院の目処がたったのは私が高3になってから。正確な時期は覚えていないが、当時はコロナがもっと恐れられており、特に酷かった京都からの患者であるため祖母は入院の前に2週間の隔離が必要となった。祖母は今私がいる家で母の世話の下2週間の自己隔離をした後、ようやく入院することが出来た。今入院している病院は治る見込みのない患者を介護しながら治療する病院で、「姨捨山病院」とまで呼ばれている。

 

僅か1,2年ではあったが、介護しながらの生活は地獄だった。心身ともに健康が侵され、言うことを聞かない老人の世話をする。自分の祖母ではなく、人間の体を持つ獣を世話している気分だった。コロナによる休校期間も重なり、そのストレスを発散出来る場所もなく、半ば気が狂った状態で世話をしていた。自殺まで考えるレベルまで追い詰められていた。

 

現在、介護する側による暴行や殺人、心中、介護職員の不足など、様々な介護に関する問題が話題になっている。介護の苦痛を知った身としてはその原因は痛いほどわかる。私は短期間で済んだが、まだまだ続いていたら何かしらの罪を犯していたと思う。自分の健康を害しながら何の愛嬌もない老人の世話を四六時中するのだ。メッシと同等のお金を貰ったってやりたくない。そんな仕事を普通の賃金でやろうという人など、よっぽどの人格者以外いないだろう。介護職の人達には尊敬しかない。