片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

帰還、終焉。

京都にようやく帰った。

これにて片付け生活は終了。ただの宅浪生となる。家事から解放されてかなりの精神的・時間的余裕が生まれ、勉強も捗るだろう。

 

過去の記事にも書いたが、この生活は浪人というある意味「無駄」な時間に意味を加える為のものだった。しかし、それだけの生活が十分にできた訳では無い。普通に宅浪していた方が有意義にもなっていたかもしれない。その価値はもう少し時間が経たないと分からない。その時にこのブログがいい材料になっていることを願うばかりだ。

 

ここからは追い込みの期間。グズグズしていた分を取り戻しつつ、完成度を上げていく。共通テストまでは80日ちょっと。総合型入試の結果次第ではそこから数日で受験は終わるが、一般入試ならばさらに40日ほどある。これがかなり短いことは去年の経験で痛いほどわかっている。その期間、本気で勉強と向き合わないといけない。

 

ともかく「片付けしながら宅浪生活」は終わりとなる。二浪したらまた山口へ送られることになっている。そうはならないように、ここでこのブログも終わりとする。f:id:matsuten10:20211025200338j:image

 

 

 

購読者の皆様、ご愛読ありがとうございました。良い報告がまたここでできるように、精進致します。今後も結果報告等は時々するので目を通して頂けると幸いです。

このブログについて

あと数日で京都に帰る。すると「片付けしながら宅浪」は終わってしまう。それにあたって、このブログを書いている理由等と、このブログの今後について記しておく。

 

ブログを書く理由等については自分語りが多くなるので、先にこのブログの今後について書く。

京都への帰宅をもってこのブログの趣旨たる「片付け生活」が終了するため、今までのような記事は書かないでおこうと思う。ただし、「宅浪生活」は終わらないので、受験に関すること(共通テスト、入試結果等)や、ずっと前に記事にしたADHDの診断結果等の報告はしようと思う。それに伴い更新頻度も減ることもお知らせしておく。気が向いた時にチェックして頂けると幸いです。

 

(以下かなりの自分語りが含まれます。)

 

このブログを始めた理由。最初は「片付けしながら宅浪」というかなり異端な生活を記録しておきたかったというものだった。それを敢えてブログという人に見える形にすることで、三日坊主の私が継続して記録できるようにし、尚且つ「自分の文章を読んでもらいたい」という承認欲求にも似た欲を満たすことが主な理由だった。

だが、初期から読んでいる方は感じていたかもしれないが、当初思っていたような生活は出来ず、田舎での生活記録をしていく予定が、だんだんと新聞の社説まがいの記事が増えていった。そこには私の心境の変化があった。

私が自分をADHDだと疑い始めた理由の一つに自分のある思考の特性がある。昔から、1つの言葉が頭の中に浮かんだら、自分がどんな状況(授業中や人の話を聞いている時、部活の練習をしている時)であれ、そこからマインドマップのように色んなことが連想されていく。そこから自分の頭の中で色んな理論が構築され、小さな社説のようなものが頭に溢れていく。(その間はボーッとしているためよく怒られた。)そして、それを吐き出したいという気持ちが表現欲として表れていた。

学校にいる間はそれを忘れられるようなイベントがあったり、その結論を誰かと話したり出来たが、ここでは違った。なんのイベントも発生せず、基本誰とも話さないので溢れ出る思考結果を吐き出す場所がない。その結果、このブログが自分の考えを吐き出す場所となっていった。だが、このブログを書いても、その思考結果は出し尽くされない。寧ろどんどん深くなっていき、思考の渦に飲まれて鬱(仮)になってしまった。

生活に支障をきたすレベルにまできたのでADHDを疑ったが、自分のこの性質はアイデンティティの一部にもなっている。思考に嵌った時の頭の回転と集中力はADHDの長所の一つだ。だから、その結果としての表現欲を抑えようとは思わないし、将来的にはそれを活かしたことをしたいとも思う。

このブログはその過程、つまり自分の求める表現を探し、見つける場所であり、同時にその表現欲を満たす場所となっていたのである。

さすがにここでの生活というネタなしに書くと本当に自分語りしかないブログになるので、今後の更新は控えめになる。それでもある程度の欲の捌け口としてこのブログは活用していきたい。

1週間

この家から撤退するまで、あと1週間となった。今は自分が散らかした所の整理や庭の雑草の処理をしたり、古紙やゴミ類をまとめたりして最後の「片付け」をしている。

可燃ごみの回収はあと2回。毎週水曜と土曜に行っていたスーパーへの買い出しもあと2回。「1週間」と聞くと頭の中でこう換算するほどにここでの生活に浸っていた。性格上継続することが苦手な私が毎日外で運動できる訳もなく、結局ゴミ出しと買い物以外で外に出ることはほとんどなかった。その分この2つ、特に買い物は少し自分の中で楽しみになっていた。引きこもりがちになっていた私と外の世界との、数少ない繋がりだった。

 

ここでの孤独に耐えかねて、出来るだけ早く京都に帰りたいと思っていた。ホームシックとまではいかないが、誰とも話せない状況がかなりきつかった。そこに昔からの自己嫌悪と浪人している現状が重なって鬱に近い状態になった。今もその真っ最中で、体調面のこともあり、まだ十分に勉強出来ていない。ADHDの診察も含めて病院で1度見てもらおうとは思う。

それでもいざここを離れるとなると名残惜しさも感じる。ここでの記憶は6割くらいは嫌なことだ。それでも残りの4割とは離れがたく思うし、それをもっと良くすることが出来たはずだという後悔も大きい。多分その後悔は大学に入った後まで続くだろうし、約半年を棒に振ったという今の認識はかなりの年月が経たないと変わらないと思う。

 

せめて今からでもやれることはやっておきたい。何かをやったという記憶が欲しい。おそらくその記憶がここでの生活を自己満足として消化してくれるはずだ。ラスト1週間、ここでの最低の生活を少しは気持ちよく締めくくれるように過ごしていきたい。

神器

数日前に我が家に電子レンジが届いた。

ここに来た時は電子レンジはあったのだが、買って20年以上経ち、しばらくの休暇の後に再びフル稼働した所為か、1ヶ月も持たずに壊れてしまった。

 

そこからは電子レンジなしの生活となり、作り置きしたおかずを温め直すのも一苦労となった。母親からは買った方がいいと言われ続けられながらも、家電量販店まで買いに行く手間が嫌でそのままにしていた。だが、ここ最近精神的に家事の負担が大きくなり、ここでの生活も終わりに近づいた今になってようやく購入に至ったのである。

今後も時々ここに誰かしらが来ることもあるので今更になっても損は無い。とはいえ一応家電製品、できるだけ安くかつある程度の性能が必要だ。その結果、母親との相談などをしていたらさらに遅くなってしまった。

 

電子レンジの到来は冷凍食品の解禁を意味する。京都の家にいた時は弁当用のおかず以外ではあまり冷凍食品を食べたことがなかった。北大の受験のために北海道に単身赴任中の父の家に泊まった時が、最後の冷凍食品の記憶である。初めての冷凍炒飯に本格的なおかず。二十歳手前になっても初めてのものには少しワクワクする。
f:id:matsuten10:20211013004715j:image

 

それでもここで調理をするのも残り1週間ちょっと。持ち帰る物を少なくするために調味料等も消費していかないといけない。残念ながら冷凍食品の出番は思ったより少なそうだ。

 

 

恩師から

高校時代にお世話になった先生から荷物が届いた。今もメール等で相談に乗ってもらったりと色々とお世話になっている。中にはちょっと高そうなお菓子と、パスカル著『パンセ』の「考える葦」の文句を記した葉書、パスカル研究者 である前田陽一先生の書いた文章が入っていた。

 

高校3年の文化祭、私が脚本を担当したクラス劇の中でパンセのその文句を扱った。詳しくストーリーを説明すると長くなるが、ざっくり言うと動物達の人間への反逆を通じて現代の人間の愚かさを訴えるという話だった。その話の1番最後に人間における「考えること」の重要性を述べた「考える葦」の文章を丸々セリフとして組み込んだ。

 

そして文化祭数日後、国語を担当していたその先生は授業時間の中で前田陽一先生の話をしてくれた。正直あまり覚えてはいないが、納得はしたのは記憶にある。ご丁寧に送られてきた書類に「授業でここまでのことを話した」とい付箋までついていた。そしてハガキにはこの文書の軽い説明に加えて「この文書が(私)に力を与えてくれますように」と書いてあった。f:id:matsuten10:20211009233558j:image

 

まだ読み始めたばかりだから文章の内容はまだ書けない。それでもこの言葉はなにか私に力を与えてくれる。「考えろ。貴方が人間でありたいなら。」と自らが劇で訴えたことがそのまま自分に投げられてくる。

考えるには知識がいる。だからそれを学びに大学に行く。ある程度大学に行く目的がはっきりした。

 

何より卒業後もこうして気にかけてくれるだけでありがたい。近所の人達はいるが、遠いこの地での一人暮らし宅浪は寂しさも感じる。その中で路頭に迷う私を導く姿はまさに「先生」だと思った。

懐古、哀愁

一応文学部志望なのでエッセイ調で書いてみた。

 

壊れた電子レンジの買い替えの為に市の中心部まで歩いた。ここに来て数ヶ月経つが、スーパーと家の間以外、あまり散策はしていなかった。夏に漂う金魚達 ~ちょこっと地域紹介~ - 片付けしながら宅浪生で紹介した白壁の町並も軽くしか通っていなかった。

 

天気も良かったので少し遠回りをしてみた。平日の昼間、あまり人通りはない。家を出てとりあえず駅の方向に向かう。その途中に白壁の町並がある。小学校低学年くらいの時以来、久々にそこを歩いた。当時の記憶が少しだけ蘇る。その時より道も建物も小さく感じた。
f:id:matsuten10:20211008223148j:image

白壁の町並を超えて駅の方に向かう。家族で唯一のドライバーである父が行けない時は、新幹線と電車を乗り継いで来ていた。祖母が元気だった頃はよく車で駅まで迎えに来ていた。稀に家まで歩いて行ったが、幼かった私はその道のりがとても長く感じた。休み休みで歩いた道のりを軽快な足取りで進んで行った。

そこから家電屋までは思い出の欠片もない。よくある駅前から中心部までの道のりだった。

 

でもまたそこから帰る時、また昔の記憶がより色濃く滲み出てきた。1歩踏むごとに記憶が広がっていた。子供の頃に見た景色はその時の感情まで引き出してくる。ずんずん進みながらも時々振り返る母親を見て、大きくなったらあんな速く歩けるのかとわくわくしたり、夏の祭りで「子供のビール」を飲んでいつか飲む味を確かめたりしていた。あの時は大人になりたくて仕方なかった。

 

あれから十年ちょっと。あのころ夢見た二十歳手前の自分はここで足踏みしている。大きくなりたかった男の子は、あの頃に戻りたいとまで思うようになった。白壁の間を抜け、家までの緩い坂を上るにつれて足取りは重くなり、誰もいない家のドアを開ける時には、特大のため息が口からゆっくりと吐き出された。

目眩

ここ1ヶ月くらい、机に座って勉強を始めてもすぐやめる、ということの繰り返しになっている。何故かは分からないが、頭がクラクラして、目の焦点を合わせるのに結構な労力が必要になる。頭の中で情報を整理しようとしても本来の30%以下のスピードでしか処理できない感じだ。

睡眠不足かと思って数日間長めに寝てみたが、改善しない。食生活が悪いのかと思っていつも以上に栄養に気を使っても変わらない。水分不足か、秋花粉か、と考えられることを潰していっても解決しない。

 

そんなこんなで共通テストまであと100日程度になってしまった。おかげでほとんど勉強出来ていない。焦りと諦めと自己嫌悪でまた鬱に近い状態になってきた。最近ブログの更新が遅いのもこれが理由だ。

 

以前にも同じようなことがあった気がするが、全く思い出せない。どう解決したらいいかも全然わからない。完全にお手上げ状態だ。とりあえず足掻きつつ、今月後半の京都帰還を待ちたい。