片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

このブログについて

あと数日で京都に帰る。すると「片付けしながら宅浪」は終わってしまう。それにあたって、このブログを書いている理由等と、このブログの今後について記しておく。

 

ブログを書く理由等については自分語りが多くなるので、先にこのブログの今後について書く。

京都への帰宅をもってこのブログの趣旨たる「片付け生活」が終了するため、今までのような記事は書かないでおこうと思う。ただし、「宅浪生活」は終わらないので、受験に関すること(共通テスト、入試結果等)や、ずっと前に記事にしたADHDの診断結果等の報告はしようと思う。それに伴い更新頻度も減ることもお知らせしておく。気が向いた時にチェックして頂けると幸いです。

 

(以下かなりの自分語りが含まれます。)

 

このブログを始めた理由。最初は「片付けしながら宅浪」というかなり異端な生活を記録しておきたかったというものだった。それを敢えてブログという人に見える形にすることで、三日坊主の私が継続して記録できるようにし、尚且つ「自分の文章を読んでもらいたい」という承認欲求にも似た欲を満たすことが主な理由だった。

だが、初期から読んでいる方は感じていたかもしれないが、当初思っていたような生活は出来ず、田舎での生活記録をしていく予定が、だんだんと新聞の社説まがいの記事が増えていった。そこには私の心境の変化があった。

私が自分をADHDだと疑い始めた理由の一つに自分のある思考の特性がある。昔から、1つの言葉が頭の中に浮かんだら、自分がどんな状況(授業中や人の話を聞いている時、部活の練習をしている時)であれ、そこからマインドマップのように色んなことが連想されていく。そこから自分の頭の中で色んな理論が構築され、小さな社説のようなものが頭に溢れていく。(その間はボーッとしているためよく怒られた。)そして、それを吐き出したいという気持ちが表現欲として表れていた。

学校にいる間はそれを忘れられるようなイベントがあったり、その結論を誰かと話したり出来たが、ここでは違った。なんのイベントも発生せず、基本誰とも話さないので溢れ出る思考結果を吐き出す場所がない。その結果、このブログが自分の考えを吐き出す場所となっていった。だが、このブログを書いても、その思考結果は出し尽くされない。寧ろどんどん深くなっていき、思考の渦に飲まれて鬱(仮)になってしまった。

生活に支障をきたすレベルにまできたのでADHDを疑ったが、自分のこの性質はアイデンティティの一部にもなっている。思考に嵌った時の頭の回転と集中力はADHDの長所の一つだ。だから、その結果としての表現欲を抑えようとは思わないし、将来的にはそれを活かしたことをしたいとも思う。

このブログはその過程、つまり自分の求める表現を探し、見つける場所であり、同時にその表現欲を満たす場所となっていたのである。

さすがにここでの生活というネタなしに書くと本当に自分語りしかないブログになるので、今後の更新は控えめになる。それでもある程度の欲の捌け口としてこのブログは活用していきたい。