片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

無知なエリートたち

某メンタリストがホームレスを差別する発言をしたということで炎上しているらしい。詳しくは知らないし知ろうとも思わないが、少しばかり思うことがあって、書いてみた。

 

私の高校は地元でも有名な進学校で、各塾もその合格者を看板にでかでかと書いている。私はその学校に2つある学科の簡単に入れる方に所属していた。学校説明会等で「入口が違うだけでやってることは同じ」と聞いていたこともあって楽に入れる方を選んだ。

簡単な方とはいえ割と学力層は高く、高い方の学科や他の進学校に落ちた者も多かった。そのため中学時代に塾に通っていたという人が大半を占め、80人程度のうち中学時代に塾に行っていなかった人は10人ちょっとぐらいだった。

やっていることは同じとはいえ、この科に所属する人達は少なからず劣等感を感じていた。そしてその劣等感を拭うために、有名進学校としてのブランドを誇り、他の学校を馬鹿にして、優越感に浸っている奴らも多かった。

 

その中で記憶に残っているのは、現代社会の授業で社会保障制度についてグループで話し合った時のことだ。グループの1人が言ったのは「なんで働きもしないやつにお金を払わないといけないのか。缶を集めている暇があるなら仕事をしろと思う。」ということだった。他の人はそこまで過激ではなかったが、社会保障制度に反対の人が多かった。私はその人達全員に失望した。

彼らは貧困についてあまりにも知らなさすぎる。

彼らの多くは恵まれた環境にいる。少なくとも有名進学塾に通うことが出来るほどに経済力もあり、通わせてくれる親がいる。だが彼らは自分が恵まれていることに気づくどころか、全て自分の力でそこにいると本気思い込んでいる。そして自分より学力が低い者を努力不足だと見下している。その見下す対象には、ホームレスなどの経済的弱者も含まれている。

 

彼らは自分達の努力を誇りすぎている。確かにその場に来るために頑張って勉強してきたのだろう。そしてその間に勉強をしなかった人が自分より下にいるのも確かではある。だが、その努力が誤った自信を与え、その結果自分より「学力」という数多あるパラメータの中の1つが劣っている人を見下す。

確かに出世や地位向上には努力は必要である。だが、努力の必要量はその人の環境によって違う。そのことに気づかず自分の努力を過信した上、経済的弱者を努力不足だと見なすというのは自分勝手にも程がある。

 

今回の件は発言力、影響力ともに強い人が言っているから大きなものとなったが、心の内でそう思っている人はそこら中にいる。しかもその考えが、政治や経済を実際に動かす高学歴層に蔓延っている。それを見ると貧困の格差が埋まらないのも納得出来るものだ。