片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

埋まらぬ身の丈

模試を受験するかどうか問題再発である。

今回は今後他のの模試判定にもドッキングで使われる共催模試。しかも自宅受験は出来ない。山口にいる私は広島まで受けに行かなければならないが、その受験日は見事に非常事態宣言と被っている。広島の感染者は増加傾向にあり、感染リスクは低いとは言えない。住民票が京都のままで尚且つ無職の私にワクチン接種の機会などそう簡単に訪れる訳もなく、さらにそのリスクは高くなっている。いくら重要な模試とはいえ、命懸けで行くようなものかと悩んでいる。

 

そもそもだが、模試の会場は地方にほとんど無いというのが不満である。今回の模試の場合、公開会場は中国地方だと広島のみ、九州も福岡のみで四国に至っては無しである。それに対し東京は11、関東だと20もある。人口の問題もあるだろうが、あまりにも格差がありすぎる。せめて各都道府県1つくらいの会場は設けて欲しいものだ。

 

試験会場の問題は数年前にもあった。その時は模試ではなく民間英語試験。入試の得点に絡むような重要な試験である。当時は受験できる会場も地域格差があり、それに起因する受験回数にまで差が生じかねない状態だった。それが各メディアで指摘される中、文部科学大臣は「身の丈に合わせて」という言葉を用いてその格差を放置するという意思表示をした。

暫くして(1度撤回を拒否した後)発言は撤回されたが、国に対する不信感は受験生の間には残った。元々センター試験廃止から共通テストの実施、記述式になるかと思えばベネッセとの癒着問題で白紙化、など色々と国の政策に振り回された世代である。そこにこの発言がきて、さらにその後英語民間試験の活用が白紙になった。丁度その申し込みが始まった時期で、生徒教師共に神経をすり減らして書類を作成していた所である。担任団は「こういう書類を作った経験は無駄にはならない」と無理やり締めくくったが、一番損をしたのは先生達だ。後日テンプレ通りの謝罪文が配られたがそんなもので信頼を回復出来るわけもなかった。

 

国の教育政策のトップがこの態度である。しかもまだその役職をのうのうと続けている。そんな態度で「教育改革」と叫ばれても乗っかる気は起こらない。仮にこの世代が将来活躍しても、振り回された我々ではなく、好き放題にやった老人達が評価され、全ては美談となる。そしてその犠牲となった「身の丈が低い」人達はいなかったことにされるだろう。無知なエリートたち - 片付けしながら宅浪生でエリートが「下層民」のことを知らなさすぎると書いたが、この一連の出来事もその一端である。環境に恵まれた子供が「一流大学」を出た後リーダーとなり、教育政策を決める。

共産主義に染まれとは言わない。だが教育に関しては、官民問わずその格差を埋める努力をしなければならないはずだ。それを怠ったということの重さを、当の本人達は理解しているとは到底思えない。