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ポレポレ思い出話~タンザニア旅行記その1~

小学生の頃、姉がボランティアで派遣されていたタンザニアに行ったことがある。オリンピックに際して少し思い出してみた。


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タンザニアの国旗

 

タンザニアケニアの南に位置するアフリカの東海岸の国。治安はアフリカの中では比較的マシな方だが良いとは言い難い。姉は滑り止めで受けた大学のスワヒリ語学科に入ったことから、何やかんやあってタンザニアに行くことになったらしい。

4人姉弟(女×1男×3)のうち、私を除いた上3人は、父のイギリス留学の間一家でイギリスに住んでいて、私が生まれる数年前に日本に帰国した。その為家族の中で圧倒的に海外経験が少ない私の為に、母はタンザニアに連れて行ってくれた。

 

元植民地だったことから英語は人口の6~7割くらいは通じる。無論当時の私は英語は話せなかったが、姉のスワヒリ語と元英語教師の母のお陰でコミュニケーションには不自由しなかった。

 

滞在期間中に、リゾート地ザンジバル島などの観光地や、しりとりには欠かせないンゴロンゴロ保全地域でのサファリなどにも行ったが、それよりも現地の人達に圧倒された。彼らはアジア人の顔を見るや否や自分の商品を持ってこんにちはやアニョハセヨなど立て続けにあいさつしてくる。そしてその次に「日本じゃソニーが安いだろ?なんかくれよ」と物をせがんでくる。勿論なにもあげるものは無かったが、お土産に彼らの店でマサイ用の布(マサイシュカ)と杖、バイクのタイヤを切って作った靴を買った。

そしてマサイの村にも行った。今はマサイも多様になってきて、昔ながらの村マサイ、村に住みながら街で働くハーフマサイ、街に住み洋服を着るシティマサイなどがいるらしい。私が行ったのは村マサイの村。自分と歳の変わらない子供たちが、顔に大きいハエを大量につけながら、でも顔は笑いながら牛を追っている。学校は村の中にあって、観光収入から教材も手に入れてるらしい。泥を固めた伝統的な家々もあった。マサイと聞いたらイメージするジャンプも見た。彼ら曰く小さい頃からの訓練であれだけ飛べるようになるらしい。ちなみに視力もめちゃくちゃ良かった。

 

また、彼らの文化的特徴として、超マイペースだという点が挙げられる。祭りが4時間遅れでスタートする、サファリの予約が丸一日ズレたなど自分の滞在期間中にも色々あった。彼ら曰く「ハラカハラカハイナバラカ(急いだってなんもいい事ない)」という価値観の元、ゆったりまったりした生活をしている。参考書の名前にもなっている「ポレポレ」はスワヒリ語で「ゆっくりゆっくり」という意味だ。彼らは呪文のように至る所で口にする。そんな彼らが住む国には余裕から生まれる満足感と、ゆったりと流れる自由気ままな時間があった。