片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

偽アンパンマンだらけ

浪人中とはいえど、むしろ浪人中だからこそ、その自由になった時間にネットに触れる機会が増えた。それに伴って、様々なネット上でのトラブルを見かけるようになった。特にオリンピック関連で色んな人が一斉に叩かれているのを見て、両親が話していたことを思い出した。

 

もはや幼児は必ずと言っていいほど見るアンパンマン。悪いバイキンマンをやっつけ、困っている子には笑顔で自分の顔を差し出す優しいヒーローのお話だ。だが、私の両親は自分たちの子供には積極的には見せなかった。中学生になってその理由を知ったのだが、「あんな暴力的なアニメを子供に見せられない」かららしい。当時はかなり偏った意見だなぁと流していたのだが、ここ最近になって納得した。

 

アンパンマンは正義のヒーローを謳ってはいるが、その行動は今になって考えるとかなり乱暴といえる。悪人に対して問答無用で暴力をふるう。そこに正義という看板があるからこそさらにタチが悪い。だれも彼を咎めないし、彼はそれに充足感すら感じる。もちろん、作者はそれを意図した訳では無いだろう。悪いことをするとバチが当たるよ、とか優しくしようねみたいなことを伝えようとしたのだろう。

 

だが、アンパンマンだけではなく、この世には勧善懲悪という名分で悪者に対して容赦なく暴力をふるうヒーローのお話が溢れている。それを見て育った子供たちがヒーローを夢見るのも無理はない。問題はその価値観が植え付けられたまま大人になっていくことだ。

 

今のネットはその「ヒーロー」の溜まり場だ。悪人がでるとすぐさま「ヒーロー」が何万人も駆けつけ、悪人を徹底的に叩き潰す。しかもタチの悪いことに全員がマスクを被っているから誰だかわからない。そしてまた我こそが正義の鉄槌を下すヒーローだと勘違いした者共は次の標的を探しに行くのである。

 

恐らく多くの人々の中に「悪を懲らしめたい」という欲が根付いてしまっている。そして、現実世界ではそんな勇気も腕力もない彼らは、バーチャル世界で言葉を武器に水を得た魚のように一斉に襲いかかる。

 

彼らの大きな間違いは「自分が悪を懲らしめるに値する人間だ」と思い込んでいる事だ。アンパンマンをはじめとするヒーロー物語は、そのコミュニティ内で認められた少数のヒーローが正義を遂行する。今の社会では警察や裁判所が担うべき役職だ。だが、いまのネット上の「ヒーロー」達は、数は多いわ自分勝手だわでヒーローと呼べる代物ではない。どちらかというと標的に群がるショッカーだ。

 

そんな「ヒーロー」達によって何人もの人間が命を落としたり、心を壊されたりしてきただろう。それでも彼らは笑いながら次々とパンチを浴びせていく。仮にその対象が悪人であったとしても、彼らにそんな権利はない。「ゴメンで済んだら警察は要らない」と言うが、警察の代わりは民衆には務まらないのである。