片付けしながら宅浪生

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教師としての祖母

前回記事で祖母は元音楽教師だと書いた。今回はこの家の本来の住人、私の祖母について話していこうと思う。

 

祖母は代々寺の住職をしている家系に生まれた。比較的大きめのお寺で、ある程度の経済力もあり、不自由なく生活していた。当時にしては珍しく家にピアノがある家庭であり、本人曰く地域では唯一学校以外にあるピアノだったらしい。その為当時の子供たちの中ではピアノに触れる機会は多く、あまり上手くはなかったものの相対的に音楽ができるということで音楽教師の道に進んだ。

 

教師としての祖母の話はほとんど聞いたことは無いが、この家の片付けをしていると頻繁に教材や出席簿などの当時の細かい記録を見かける。職場の道具が気に入ったらしく、小さな黒板や職員室にあるような机と椅子、さらには学校のトイレにあるものと同型のスリッパまである。

何より祖母の仕事ぶりが分かるのは、度々訪れたり電話をかけてくる元教え子の人達の話だ。この人達は祖母を未だに先生と呼び、今何処の病院にいるのかや、認知症の病状等色んなことを尋ねてくる。そしてその後に当時の話をしてくれるのだ。その話では物凄く優しく世話焼きな先生だったらしく、生徒に慕われていたようだ。退職後も元教え子達との交流は続き、認知症が発症した今なお、その人達は病気や生活の心配をしてわざわざここに来てくれるみたいだ。ここに私が来てから色々お世話になっているお隣のご夫婦も教え子だったらしい。

 

私が知る祖母と世話焼きな点は一致していたが、認知症を発症する前で既にその世話好きを凌駕する呆けと、健康への執着と浪費、そして健康を求めての野菜栽培とその延長としての園芸オタクというイメージを持っていたため少しばかり驚いた。

 

何よりその生徒への愛情が今もこうして返ってきている。私は小学校の担任もあまり覚えていない上、高三の担任の名前まで忘れてしまった。勿論感謝はしているが、一生その恩を返そうとするほど私は人格者ではない。当時の学校がどのようなものかは知らないし、生徒と教師は今より強かったかどうかも分からない。それでもこの家に来て少しづつ、数十年経っても尚生徒達に慕われ続ける祖母の姿が見えてきた。