片付けしながら宅浪生

古家を掃除しながらゆったり受験勉強

自由、教育、迷い

受験勉強(最近滞っているが)と並行して大学の情報も色々と集めている。と言っても今更志望校を変えようとも思っていないので、単に入ってからのイメージを作ってモチベーションを上げるのが目的である。

 

そこで1つ強力な情報ソースとして父の存在がある。大学関係者の父は理系ではあるが、哲学などの文系学問にも関心があり、大学内部にいるからこそ知っていることをあれこれ教えてくれる。現役の時もかなりその情報は重宝した。

各大学の実際の教育方針や、留学システムとその実態、その他動向等ネットにも転がっていない情報ばかりである。

 

そんな父がよく口にするのは、「昔ほど自由に学べなくなった」ということだ。父親(現在60歳前後)の時代は高校から宿題というものはほとんどなく、大学でも出席というものすら取られなかった。父は授業には出ていたが、課題は課されることなく、その残った時間で色んな本を読み漁った。現在の職に就いたのも、その影響がかなりあると言っている。

また、当時は科目の選択の幅が広く、必須科目は今と比べてかなり少なかったらしい。だから単位を少々落としても進級はできた。その学生に与えられた精神的・時間的余裕は更に学生の教養的活動を促した。(それが学生闘争などに繋がったというのもあるかもしれないが…)

 

だが、現在、大学では出席率と課題提出率から成績は出されている。さらに必須科目が多くなり、単位を少しでも落とすと留年の危機に晒される。父曰く、「大学での学問は就職活動にはほとんど要らない」とのこと。それでも「各教授は自分の学問が必要不可欠だと思い込んでいて、それで必須科目が増える」という事態になっているらしい。

父はそんな管理型教育を嫌って自分の学生には大学に決められた最低分しか課題を課していないらしい。さらに最後の方の授業では無理やり自分の科目にこじつけて戦時の映像記録を扱っているNHKスペシャルなどを見せているそうだ。おかげで期末の授業評価アンケートはかなりいい結果がでているとのことだ。

 

とある京大生が「自由の学風は死んだ」と言った。無論そこには大学側の色々な理由があるのかもしれない。それでも管理型教育には限界がある。「サラリーマン製造工場」ならそのままでもいいだろう。しかし、大学は「高等教育機関」であり、均一な人間を育てることは目的では無いはずだ。「学ぼうとしない学生」と「管理による教育」のどちらが先かは分からないが、その間にはなんらかの因果関係はあると思う。学生に自由と時間を与える。それは確実に学問の発展に寄与するはずだ。

 

自分が志望している阪大は課題が大量にあることで有名らしい。それだけで志望校を変える程でもないが、少し迷いは生じてきた。小学校1年で既に宿題提出を拒否した筆者には意外と重要な要素ではある。